OCSは、不登校の子どもを受け入れるフリースクールの先駆けとして、二十年前に開校。代表の樋口義博さん(64)は「娘二人が不登校になったのがきっかけ」と話す。娘たちは米国のフリースクールに入学したが、国内にも同様の学校が必要と考え、二十年以上勤めた高校教諭を辞めて、退職金をつぎ込み開設した。
バラの普及活動を始めたのは十四年前。OCSの女子生徒が、第二次大戦中に強制収容所で病死したアンネ・フランクの愛したバラがあると知り、自転車で兵庫県西宮市の「アンネのバラの教会」まで出向き、株分けしてもらったという。
以来、OCSでは隣接する農地を借りて「のむぎ平和のバラ園」をつくり、毎年四百株を育てている。同教会でもらった「アンネ」のほか、淡い黄色が特徴の「ピース」や、横浜米軍機墜落事件(一九七七年)で犠牲になった土志田和枝さん=当時(31)=にちなんだ「カズエ」などの品種を植え、今年も見ごろを迎えている。
「平和のバラ街道」構想は当初、横浜から東京、埼玉、群馬を経由する北回りと、山梨県を経由する西回りの二コースだった。OCSでは毎年、長野県小谷村まで徒歩旅行しており、その道中に商店や学校などで五百株以上のバラを受け入れてもらってきた。
さらに今年、横浜市中区の「港の見える丘公園」にある土志田さんの遺族が寄贈した「愛の母子像」から、OCSを経由して長野県佐久市に至る三つ目のコースを追加。今月から新たなコースの沿道でも、バラを育ててくれる人を探すイベントを実施している。
樋口さんは「小谷村まで約三百キロ。街道を完成させるのは途方もない旅」と苦笑するが、「平和への願いが込められた愛の母子像までは、カズエの品種でつなぎたい」と意気込む。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20120524/CK2012052402000107.html
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のむぎ平和のバラ園ができた経緯がわかりました。来年あたりにはぜひお邪魔してバラ園お写真を撮らせてもらいたいものです。
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